ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ~♪
上の写真は今年の春、鳥取県境港市の米子空港(既にややこしい)で撮影。
境港と言えば、水木しげるセンセイ、ゲゲゲの鬼太郎と魚港で有名な街です。
@まつやま、人生で初めて行ったのですが、
地理、かなり難解でした( ; ゚Д゚)
かつて鳥取砂丘だけは見に行った経験がありますが、
山陰地方は人生二度目。
今回のお目当ては・・・鳥取ではなく島根。
島根といえばもちろん出雲なんきん!
じゃぁなぜ鳥取県の写真があるかといえば、
お邪魔した愛好家さんのお宅のうちの1軒が、
県境近くの島根県松江市、というロケーションだったため。
お邪魔するのに両県を跨がってウロウロしたり、
昼食を摂りに境港(鳥取)まで出掛けたりで、
もう、自分が現在、島根にいるのか鳥取にいるのか、
わからなくなること度々( ; ゚Д゚)
帰宅後、地図を見直してようやく理解できた、って感じでした。
(すみません、無知で)
(その時、津和野が島根県だと初めて知りました(/ω\) ずっと山口県だと思い込んでました)
(ちなみにそのことを知人・友人、数人に話すと3分の2ぐらいは「うそ~!『萩・津和野』ってよく聞くから山口だと思ってた」って反応でした)
(改めて無知でスミマセンm(__)m )
まずは松山市から車で約4時間。
しまなみ海道(愛媛-広島)とやまなみ街道(広島-島根)を通って、
中海(なかうみ)に浮かぶ島根県松江市の大根島に行ってきました。
絶景ルートをいくつも通っているにも関わらず、
写真は一枚もありません。
この日はどこもかしこも霧が出ていたからです。
シジミで有名な宍道湖もすぐそばを通ったのですが、
な~んにも見えず(ToT)
朦々とした霧を衝(つ)いて(ちょっと文学っぽい表現?w)
愛好家さんのお宅に辿り着きました。
お邪魔させていただいた愛好家Iさんは
自宅と職場の2箇所に飼育場をお持ちです。
まずは仕事場につくられた飼育場に案内していただき、
ナンキンとご対面(≧∇≦)/
何尾か当歳を掬ってもらい、写真を撮らせてもらいました。
なかなかの衝撃でした∑(`・д・´ノ)ノ
ナンキンって、こんなにキレイだったっけ?
私の写真が下手で、伝わらないかもしれませんが、
最初の印象は「白がキレイ∑(`・д・´ノ)ノ!」でした。
ナンキンは他の魚種と違い、白(銀)を大切にする魚種だ、
というぐらいの予備知識はありました。
しかし、さすが本場のナンキンはさすがの美しさ(≧∇≦)/
一方でIさんは赤勝ちも残されてて、
それはそれで「すごくアリ」だと思いました。
赤勝ち更紗(上見で体表の半分以上が赤)は
品評会で減点になる、なんて話も聞いたことがあります。
けど、観賞魚としては見栄えも良いし、私的には全然OK(≧∇≦)/
関東での@まつやまのホーム店、懐古堂さんなどで
すっごいナンキンを見たことがありましたし、
かつて「愛媛の金魚キ●ガイ」ことふじさんがすごく上手にナンキンを飼われてたのが印象に残ってますが、私の地元・愛媛ではなかなかお目にかかれない魚種。
とにかく「すごい!すごい!」とコーフンしながらシャッターを切りました。
続いて自宅のお庭の飼育場に移動。
こちらもとてもしっかりした造りのタタキ池が並び、
雨の中でしたが、二歳~親魚を見せていただきました。
ドーン!
迫力満点です。
らんちゅうに比べ、腹が丸々としているし、
顔もスマートですが、琉金とはまったく違った印象。
やはり島根で脈々と受け継がれてきた地金魚、
独特の雰囲気がありますね~ヽ(´ー`)ノ
ナンキンはらんちゅうの祖先である「マルコ」に最も近い魚種、
とも言われますが、
日本に来た当初のマルコ(らんちゅうの祖先)もこんなに大きくキレイだったのでしょうか?
特にIさんの魚は顔がすごく尖ってて、シャープ。
@まつやまの直感では、らんちゅうとは違った方向に発達した魚種、って感じがします。
白が美しい上に、散らばった赤が鮮烈∑(`・д・´ノ)ノ
しかもこの仔、お腹がスッゴイです!
そして真っ白なナンキン。
出雲大社のお膝元だからでしょうか?
神社や皇室では白い着衣を尊びますし、
日本古来の美意識が受け継がれてるのかもしれません。
島根県立しまね海洋館アクアスにはバブリング(プカっと丸い息を吐く)で有名な
シロイルカがいたりしますし(笑)
昼食を摂りつつ、Iさんに飼育法などをお聞かせいただいたのですが、
もう、何から何まで異次元の話のようで(笑)
例えばミジンコを安定して飼育する方法を会得するところから、
ナンキン飼育を始め、今ではご自宅の飼育槽のひとつで、
ほぼ完璧にミジンコをコントロールされてる、とのこと∑(`・д・´ノ)ノ
(これ、かなり難しいことです)
そしてシャープな顔にするためにも、いろいろ研究されてるとか。
飼育設備も含め、とにかく探究心がハンパない。
金魚愛好家としてはお若いのに、これだけのナンキンを育てられるのは、
やはりセンスとやる気だなぁ、と。
我が身の「何も無さ」を反省させられました(ToT)
ただ、Iさんのお宅でナンキンを見せていただいたことで、
「四大地金魚を現地で見る」という
@まつやまの数年来の野望が達成されました(≧∇≦)/
高知で土佐錦魚、大阪で大阪らんちゅう、愛知で地金という順番で見て回り、
6年越しでようやく、って感じです。
ナンキンに関しては、金魚のめがねのOzonoさんに
数年前からちょこちょこと教えていただいてました。
改めて感謝m(__)m
続いて、いづもナンキン振興会の佐藤健次名誉会長のご自宅へ。
同じく松江市ですが、平成の大合併の前は「宍道町」というところだったそうです。
お話をうかがって飼育場を見学させていただきました。
あいにくの雨で魚の写真はありませんが、
とにかく大規模な飼育場です。
タタキ池には巨大な濾過槽も併設されており、水換えは「ほとんどしない」とのこと( ; ゚Д゚)
比較的背の高い(50センチ!)、水量のある池でじっくり飼い込むのが
現在もスタンダードなナンキン飼育だそうです。
8トンの水量に30尾程度とのことで、か~なり贅沢な環境デス∑(`・д・´ノ)ノ
(ナンキンの腹が立派なこととの関連性もありそう)
佐藤名誉会長は品評会で講評もされておられる、
ナンキン界のレジェンドのおひとり。
江戸時代(寛延年間)に作出され、地域で受け継がれてきたとされるナンキンを、
「発見」し、存在を国内に知らしめたのは
金魚の父と呼ばれる農学博士・松井圭一氏(1891―1976)。
松井博士が大正時代に宍道町の漁協に講演で招かれ、
この地方には珍しい金魚がいるという話を聞き、
ナンキンを見せてもらうことに。
初見で「これはマルコだ!」と衝撃を受け、
「貴重な金魚なので、大切に保存してください」と話された・・・との逸話が残っているそうです。
その時、松井博士が出会った魚が、佐藤名誉会長が「本家」と呼ぶ佐藤寛市氏のナンキン。
さらに第二次世界大戦をナンキンは生き抜き、
昭和30年代には宍道の名士が集う趣味の会(菊や蘭なども嗜んだそうです)を通じ、
佐藤家はナンキンの輪を広げていった、とのこと。
佐藤名誉会長もそれを引き継ぎ、ナンキンを創り、普及を続けてこられた・・・
つまり、「現代に残るナンキン」のルーツと言える方なんですね∑(`・д・´ノ)ノ
初対面の素人相手にも関わらず、佐藤名誉会長はすごく丁寧に
歴史から飼育法までを教えてくださいました。
遅くなりましたが本当にありがとうございました。
ナンキンの若き創り手と、ルーツのお宅を駆け足で見て回り、
初の島根ツアーは終了。
ナンキンはほんの十数年前までは島根からほとんど門外不出だったというだけあり、
知らないことだらけでしたし、見聞きすることが驚きの連続でした。
もっとナンキンを見てみたいですし、また機会があればお邪魔したいです(≧∇≦)/
日帰り突貫旅行ではなく、出雲大社観光もしてみたいし(笑)
しかし夕食はなぜか境港(鳥取)で海鮮料理。
写真はカニシューマイ。
以上です。
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