金魚の吉田!会長さんミニインタビュー前編~関東レポ5

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2014年9月、「金魚の吉田」そして日本動物薬品(ニチドウ)
吉田信行会長へミニインタビューを敢行しましたので、
今回はその前編をお届けします。
(聞き手:@まつやま)

老舗 vs 金魚素人!いざ!金魚の吉田へ!関東レポ4に書きましたように、
金魚界・・・というか、観賞魚界のVIPと話すということで、
@まつやま、かなり緊張しております(;・∀・)

なので最初は社会性を意識した話題から・・・
徐々にフランクなトークになっていきますwww

 


 

(@まつやま)
私は四国で暮らしているので、正直、肌で怖さを感じたわけではないのですが、
東日本大震災は、日本全体に大きな影響を与えました。
金魚や観賞魚の世界も打撃を受けたと聞きますが、どうでしょう。

 

(少し間を置いて)東北はかなりの打撃がありました。
しかも、まだまだ回復したとは言えない。
地震や津波のため、店自体がなくなったところもあります。
一戸建てのお店は特に被害に遭われたようですし、
お店の被害が仮に小さくても、こんどは「お客さんがいなくなる」という状況ですから。
業界として非常に大きな痛手を受けました。

東北地方ではこういう事例がありました。
震災後しばらくして、「震災前より売り上げが良くなった」というお店があった。
しかしこれも、周辺に観賞魚店が10店舗あったのが、そのお店だけ残り、
お客さんがそこに集中した、というだけのことでした。
東北では、あくまで感覚的な数字ですが7割のお店がなくなりました。

また、震災被害といえば東北に耳目が集まりがちですが、
北関東も良くありません。
茨城県水戸市などでは未だにブルーシートを張っただけのお宅も見かけますし、
ある観賞魚店では地震で水槽などが壊れ、トラック2台分捨てた
という話も聞きました。
さらには大震災以降も震度4~5が断続的に続きましたから・・・
お店を続けるのも難しいわけです。

 

(@まつやま)
東日本大震災の影響はリアルタイムで続いてるんですね・・・
売り上げベースでも回復してないんでしょうか?

 

日本動物薬品(ニチドウ)も(売り上げは)落ちましたよ。
震災以降、業界全体で回復してないと思います。

特に熱帯魚飼育の場合はヒーター使いますから、
地震を不安に感じる方が多いのでしょう。
最盛期から見ると海外からの輸入量は4分の1になりました。

 

(@まつやま)
一方で金魚はどうでしょう?
震災の後でも、ここ数年人気が上がってるような。

 

金魚はね、横這いです。
生体だけの数字ですが、平成6~8年がこれまでの金魚の最盛期。
業界全体で年間約60億円の売り上げがあった。
現在でも50億円ほど。
実はそんなに差がないんです。

 

(@まつやま)
ほぉ~(;・∀・)?
熱帯魚に比べ、金魚がそれほど落ちてないのはナゼでしょう?

 

金魚の場合、ヒーターが要らないですから。
その点だけでも全然違うと思います。
で、他の観賞魚が落ち込むと、変動が少ない金魚は上がったように見える、
ということでしょう。

 

(@まつやま)
金魚ファンは一定の数、変わらずにず~っと居る、というのは
不思議ですね。

 

金魚すくいというきっかけがあるのが大きいと思います。
かつてはお祭り、縁日で金魚すくいの屋台がいっぱいあった。
今ではテキヤさんによる売り上げは下がってますけど、
一方で町内会やホームセンターのイベントなどで金魚すくいをやるようになりました。
ちょっとした催しに金魚すくいが登場するようになってますよね。

 

(@まつやま)
おぉ!確かにそうですね∑(`・д・´ノ)ノ
言われてみれば金魚すくいの機会は昔より増えているかもです。
金魚の間口は広がってるのかもしれませんね。

 

金魚すくいをして、金魚を持って帰り、
中学~高校時代にいったん忘れ、また大人になって金魚飼育を再開する・・・
こういうサイクルは変わってないんだと思います。

 

 

(@まつやま)
基本的な質問ですみません。
会長さんは何代目でしたっけ?

 

 6代目ですね(笑)

 

(@まつやま)
おぉ~∑(`・д・´ノ)ノ
金魚の大商いをしているお宅の6代目って、どういう幼少期を過ごすんですか?
私は勤め人の家庭で育ったので想像もつきませんwww、

 

池が大きかったですからね。
生産もしていたので掻い掘りとか手伝ったりですね。

※@まつやま注:
掻い掘り(かいぼり)、換え掘り、換え干しとも。
池の水を出し、泥を取り除き、池の底を天日干しすること。

子どもながらに和金と琉金を分けたりもしてました。
特に親から手伝えとは言われなかったですが、
自然と手伝っていました。
子どもの遊びですけどね。
池は当時14面あったんですよ。

金魚の池は泥水になる。
池をキレイにして、キレイな水に金魚を入れるわけですから、
金魚にとっては環境が激変して厳しいわけですが、
だからこそ丈夫になると言われてました。
つまり掻い掘りすればするほど金魚は強くなる。
(吉田養魚場=現株式会社吉田)先代の吉田松樹は、
掻い掘りするから丈夫な金魚を作る、と評判だったんですよ。

 

(@まつやま)
金魚に囲まれてるような生活だったんですね~(∩´∀`)∩
子どものころから、この仕事を継ぐんだ、と思われてたんですか?

 

私は三男だったので継ぐという意識はありませんでした。
長男は本郷で問屋(金魚坂)をやっていまして、
次男は新小岩でやっていたのですが48歳で亡くなったので
私が継ぐことになったんです。

 

(@まつやま)
ちなみに本郷以外にも吉田さんってありませんか?

 

八王子の吉田さん(吉田観賞魚)は一族ではないですよ。
同業同士で仲はいいですけどね(笑) 

金魚坂さんは企業としては別の会社ですが、取引先でもあります。
長男(故・吉田晴亮氏)の時代は相場を動かすぐらい力があった。
弥富で初の市場「日本金魚市場」を弥富のマルウ先代(伊藤卯八郎氏)らと
立ち上げたのも長男ですからね。
1967年の市場創立までは、東京の組合(業者)は、
どこの産地の金魚でも東京の市場で竸っていたのですが、
弥富の金魚は弥富の市場で競るのが本当だろう、と。
当時としては画期的だったんです。
市場の株主には新小岩の会長も名前を連ねました。

長男はほかにも北海道に丸新商店をつくり、
空輸で金魚などを送った。
当時としてはこれもすごいことでした。

ウチのほうは次男(吉田舜亮氏)が市場でも買いガシラでしてね。
いわば「(金魚業界の)東京のボス」って感じでした。
「新小岩」「新小岩」と呼ばれ、親しまれていました。

 

(@まつやま)
老舗、といっても業界に貢献してきた歴史があってこそ、
今も続く「金魚の吉田」のブランド力ができたんでしょうねヽ(´ー`)ノ
小売りとしても「金魚の吉田」は有名ですし。

 

いやでも、一般のお客が来るようになったのは10年ぐらい前からなんですよ。
それまでは問屋ですから小売はしてませんでした。

 

(@まつやま)
えっ!∑(`・д・´ノ)ノ
そうなんですか?
平成に入ってけっこうしてからなんですね。
私はもっと以前から小売りもされてたのかと思ってました。
小売りを初められたのはナゼでしょう?

 

平成10年に現在のビルを建てて
多角経営の一環として1階に総合ペットショップを開店したんです。
犬や猫、トリミングもやっていた。
ビジネス的にはけっこう良かったのですが、やはり金魚問屋としての歴史を大切にして、
金魚だけに特化しようじゃないかと言うことで平成17年から金魚専門店になりました。
ですから小売りの方はまだ9年ぐらいです。

 

(@まつやま)
小売りも古くからやられてると勝手に思い込んでました。

 

あ、それでも以前から錦鯉は小売りはある程度やってましたけどね。

 


 

 

というわけで前編はここまで。
会長さんはすごく落ち着いた、穏やかな話しぶりで、
@まつやまのフリがあっちに飛びこっちに飛びするのを、
笑顔で受け止めてくださいました。

というわけで後編に続きますヽ(´ー`)ノ

 

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