8月11日から15日まで、
沖縄に行ってきました~ヽ(´ー`)ノ
今回は金魚だけの話題に絞らず、
だらだら書きます~
【1日目】
松山空港を10時半ごろ出て、
1時間40分ほどのフライト。
松山からだと、ちょうど東京に行くのと
同じ感覚です。
松山空港で撮影
長男は飛行機に乗れるというので
超ハイテンションでした(;・∀・)
那覇空港で昼食を摂り、
(参照:早くも胸焼け|金魚ビギナーですが、何か?)
那覇市の隣、南風原町(ハエバルチョウ)へタクシーで向かう。
嫁の実家で休憩し、
お盆が近いということで、
嫁の姪と一緒に墓参へ。
車で約20分ほどで、中城村(ナカグスクソン)のお墓に到着。
嫁の実家の(一族の)は墓は、
100坪はあろうかという立派な亀甲墓(カメコウバカ)。
実はこれほど立派なお墓が
特別かというと、沖縄ではそうでもなく、
至るところに「住んでる家より広いお墓」を
見ることができます。
事実、このお墓は@まつやまのマンションより
明らかに広い(;・∀・)
墓前に愛媛の土産を供え、
線香に火をつけ、
全員で合掌。
この「手を合わせて祈る」ことを
沖縄はでは「うーとーとぅ」と言います。
沖縄に帰省してお墓参りを欠かすと、
義父は機嫌が悪くなるそうで…
祖先崇拝の習慣と感覚が、
まだまだ生活に根付いてる沖縄らしさを感じます。
@まつやま家は墓参の習慣が薄いので、
子どもたちにも良い経験ですし。
・・・でも、お墓の維持は大変そうですけどね(;・∀・)
お墓からの風景。
沖縄本島の東側の海(太平洋)が見えます。
備蓄基地的なものが見えます。
これは「青い空、白い砂浜」という、
観光的な視点から考えると違和感があるかもですが、
沖縄の「現実」はこんな感じです(;・∀・)
夜は那覇で大学の同級生と再会。
3人で飲み会。
いっぱい食っていっぱい笑いましたヽ(´ー`)ノ
20年前には正直、愛媛とは比べ物にならないほど
美味しくなかった沖縄の刺し身。
魚の種類が内地と違ううえ、
今にして思えば保存技術の問題もあったのかもしれません。
沖縄料理は大好物ですが、
刺し身は20年間避け続けてきたのですが・・・
居酒屋でいただいた刺し身は、
どれもちゃんと美味しくて衝撃的でした。
何の刺し身か記したメモを紛失しました(;・∀・)
「金魚」という飲み屋さん(?)の看板を発見したりしつつ、
(参照:あ!金魚だ!|金魚ビギナーですが、何か?)
二軒目は沖縄そば屋さん「名護そば ハイウェイ食堂」に。
こちらは24時間営業。
今回の訪問で初の沖縄そば!ヽ(´ー`)ノ
気取ってなくてズバズバ食える、
私の好きなタイプの沖縄そばでした。
半日滞在して見た風景と、
友人たちの雑談から感じた雑感を少し書きます。
私が沖縄に暮らしていた20年前も、
海岸の開発はバンバン行われてました。
その後も止まること無く続いてます。
与那原町から西原町にかけて「マリンタウン東浜」も出来てましたし、
豊見城市もかなり広い埋め立てをしてますし、
私が住んでた時代と今を比較すると、
約11.81平方キロメートル、
沖縄県の面積は「増えて」ます∑(`・д・´ノ)ノ
これ、だいたい千代田区ぐらいの広さです(;・∀・)
…とはいえ、これまでに返還された基地の面積は
約120平方キロメートルだそうですから、
それに比べれば微々たるものとも言えるし、
それだけ米軍が専有してる基地が大きいとも言えるし…
近年、基地跡地でハンビータウン(北谷町)ができ、
おもろまち(那覇市)ができ、
それ以外にも大きいショッピングセンターが各所にできてます。
特にイオングループの進出は目覚ましい。
道路も増え続けてます。
沖縄に行くたびに「こんな道あったっけ」って感じです。
那覇から嫁の実家がある南風原までの道も、
トンネルがドカーンと抜けてて便利になりました。
「変わっちゃったなぁ」
20年前に4年間住んだだけの私は、
こう呟くことしかできません。
沖縄経済は現在、好調なんだそうです。
人口は増え続けているし、
失業率も低下してるそうです。
これからも基地返還は続きますし、
そこには商業施設ができるんでしょう。
道路は増え続けるでしょうし、
今後も海岸の開発は続くんでしょう。
「金太郎飴のような街」が
沖縄に増えることが、
「沖縄の選択」だとは思えないのですが…
嫁の実家の2階の部屋で、
網戸の隙間から侵入してくる虫の大群と
格闘しながら、そんなことを考えた1日目でした。
【2日目】
この日は午後から金魚関係の予定。
(お待たせしました)
午前中は那覇市の公設市場でお土産を物色してると…
こんなのを見つけました∑(`・д・´ノ)ノ
そうです。
沖縄で金魚といえば・・・
いよいよ、この人と初の対面ですヽ(´ー`)ノ
続きます。
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