地方の壁、らんちゅうの壁

不定期に「初心者の主張」を綴ります(゚Д゚;)
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先日、関東に行ってきました。
3泊4日で大半は金魚屋巡り。
少々寂しいと思うことがありました。
横浜市の有名店「よこいち」さんで、
私が住む愛媛県は頑張ってる、と
お褒めいただきました。

私が頑張ってるわけではないですがヽ(´ー`)ノ

その「頑張ってる」とは
らんちゅうです。

愛好家が多く、協会の番付でも
多くの県民が名前を連ねてる。
確かにそれは誇らしい。

でも。
らんちゅうの世界は、
金魚にこれまで触れたことのない
初心者にとっては「別世界」。

金魚すくいの延長線上にある
身近な金魚飼育や、
アクアリウムとしての飼育とは
一線を画している部分があるように感じます。

「品評会」で競う金魚を
飼ってる人が多く居るってことと、
「お店にいい金魚が居る」ってことは
まったく別の話になります。

らんちゅうの流通経路は、
お店を介さないケースが多いようです。
いわゆる「愛好家」同士のディールが
中心になりますから、
店に良いらんちゅうが出ることは稀。
なので、地元のらんちゅう業界が
「頑張ってる」と言われても、
門外漢からすると、実感が湧かないのです。

つまり、地元でらんちゅう飼育が盛んでも、
知り合いに飼育者がいるか、
品評会に行かない限り、
目に見えることはないのです。

私が「愛媛の良いらんちゅう」を
見たのは、東京のショップでした(≧▽≦)
「愛媛・●田氏」の文字を見て
驚いた記憶があります。

 

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金魚以外でも似たような話はあります。
地元の良い品は地元では食べられず、
一番良い品は東京・大阪の大都市圏に
流れる。

地元で売られてるのは2級品のものばかり。
柑橘類や魚介類といった一次産品で
ときおり耳にする現象です。
名産品のストロー現象ですかね(´・ω・`)

全国有数のレベルの高い金魚がいっぱいいても、
地元でそれを理解してる人は少ないし、
愛好家も恐らくアピールしてない。
してても届いてないことは間違いない。

もちろん産業として一定の規模が
維持できるようなものではないから、
アピールしようとしまいと、
地元のらんちゅう愛好家には
まったくメリットもないのかも。

でも、地元に「スゴイ金魚の先輩」が
大勢いることを、都会で教えてもらい、
その金魚を初めてみたのも、やはり都会。
そして地元のいい金魚を見る機会も、
地元の「スゴイ先輩」と話す機会も、
地元にはない。

フツーにらんちゅう以外の金魚を好きになった
フツーの地方の初心者は、地元の先輩とは
交わらず、ネットでシコシコ情報を
集めるしか仕方ないのかと思うと、
地方は辛い、と思わざるをえないですね。
地方と都会の壁。
らんちゅうとそれ以外の金魚の壁。
永遠にこの壁は取り払われないのでしょうか。

年に数回開かれるらんちゅうの品評会に行って、
「今、琉金とか飼ってます」では
相手にされないかもしれませんが、
チャレンジしてみるしかないのでしょうかね(´;ω;`)

ハネるということ

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「死んだ金魚をトイレに流すな」

というタイトルの本があります。

命の大切さを訴える良書…のようですが、

私は読んでません。

その表題の意味するところは

「生き物をモノ扱いするな」という

ことだと思います。

矢ガモ事件を嚆矢とした、馬鹿げた
動物虐待事件が時折、メディアで
報じられますが、無益な殺生に
対しては怒りを感じますし、
金魚が死んだらモノ扱い―
というのは寂しい話です。

以下は、その本を批判したり
揶揄したりするものではないことを
あらかじめお断りしておきます。

金魚の仔引き(ブリーディング、繁殖)は
「ハネ」という行為を伴います。

奇形や規格から大きく外れた金魚を
選別するってことですね。

有り体に言えば、殺すわけです。

私はまだ経験がありません。

稚魚を全滅させたことがあるだけで。

ハネる際、稚魚が小さいうちは
他の大きい金魚に食べさせるという
方法もあるようですが、
「死んだ金魚」どころか、

「生きた金魚をトイレに流す」

ってこともあるようです。

せっかく生まれた生命。
ほんの少しの体のどこかに問題がある、
人間の目から見て美しくないというだけで、、
生命を奪ってしまうという行為に
嫌悪感を抱く人もいると思います。

「残酷だ」と。

私も最初、「ハネる」ことについて
聞いたときは「残酷だな」と思いました。

でも一方で、すごく大切な事を聞いた、
という気分になりました。

見事な金魚を見て、溜息を漏らした
経験がある人であれば、
もともとフナだった魚が、
どうしてこんなに見事になるのだろう、
って疑問を抱いたことがあるのでは
ないでしょうか?

その疑問に対する答えの一つが、
「ハネる」ということ。

フナに近かった金魚の原型を
人間はどんどん改良していった。
その「改良」を具体的に言えば、
「意図的な淘汰」=ハネ、
ということになるんだろうと思います。

極端に言えば、我々が目にする金魚は
どの仔もエリートなんですよね。

品評会に出るような金魚は、
スーパーエリートってことでしょう。

多くの生命を奪って、金魚を作る。
その事は道徳的だとは言えないかも
知れません。

食べるならいざ知らず、
美しい魚を観賞するためにだけに生命を
犠牲にしてるわけでから…

でも。
だからこそ。

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美しいと思えるだけの魚ができる。

「殺す」という行為を伴なう「美」の追求。
それはある種、不健全な、
どす黒い執念のようなものかも
知れません。

金魚をつくる人たち、
金魚が飼う人たち、
金魚を好きな人たち、
金魚を見て美しいと思った人たちは
原罪を超えた罪を背負ってる、
という見方もできます。

何百年と人間が犯した罪。

その大罪を背負っているからこそ、
人は金魚に惹きつけられてしまう。

その罪を許されたような気分になるほど、
金魚は人を癒してくれる。

でも、虐殺から生まれた美という
現実から目を逸らさずに、
むしろしっかり見据え、
目の前の金魚をいとおしむ、
残された金魚たちを殺さないよう励む…

そんな金魚飼育者になりたいと
今は思います。