沖縄小旅行シリーズのラスト前ですが雑文を少々。
いよいよ四国も梅雨入りしまして、相変わらずベランダの金魚は元気な仔と要治療な仔が両極端、みたいな状況ですが、ぼちぼち夏を感じる季節だなぁ、と。
ということで、ふと思いついた疑問が。
金魚っていつから「夏の季語」になったんだろう?
ネットで調べてみたのですが、よく分からない( ; ゚Д゚)
夏の季語:水牛歳時記によると・・・
このように金魚は江戸時代中期以降かなり大衆化していたのだから、俳諧をたしなむほどの人ならば、夏場に2、3尾泳がせていて不思議はないのだが、どういうわけかほとんど句材にされていない。もちろん季語にもなっておらず、馬琴の「俳諧歳時記栞草」を見ても載っていない。(中略)明治になって河東碧梧桐の「しだり尾の錦ぞ動く金魚かな」、巖谷小波の「堂前やいつもの爺の金魚売る」あたりから本格的な夏の季語として取り立てられるようになった。
曲亭馬琴の「俳諧歳時記栞草」は1803年の出版物なので、少なくともそれ以降に季語になったのでしょう。俳句というジャンルを芸術として完成させた松尾芭蕉(1644~1694年)が活躍した時代、日本独自の歳時記「日本歳時記」(貝原益軒、1688年)が編まれた頃から比べると、けっこう新しい季語。
ちなみに「俳句」って言葉は、@まつやまが住む愛媛県松山市出身にして、短詩形文学中興の祖、「俳聖」正岡子規がつくった言葉なんだそうです。
なので、松山市は「俳句のまち」として有名です。
子規のお弟子さんである高浜虚子や河東碧梧桐を輩出、「漂泊の俳人」こと種田山頭火が終の棲家としたことでも知られています。
近年では毎年、俳句甲子園というイベントが開かれてますし、プレバト!!の俳句コーナーの先生で有名な夏井いつきさん(夏井いつきの100年俳句日記)も松山市在住です。
あ、私はまったく俳句をたしなみません( ; ゚Д゚)
このブログをお読みの方ならお分かりでしょうが、ダラダラと長文を書くことばかりで、俳句のような短いセンテンスで余韻を残すような、言葉を深く探求せねばできない文学にはまったく向いてませんので(≧∇≦)/
ってことで、故郷の偉人・子規さんが詠んだ金魚の句ってあるのかな、と松山市のHPを覗いてみました。(子規の俳句検索 松山市ホームページ)
見つけたのは全部で16句。
生涯で2万4000句も詠んだと言われる子規さんですから、題材として多くはないのかな?
しかし、ここで違和感。
松山市HPの季節分類によると・・・
春4句、夏4句、秋1句、冬7句。
夏4句に対して冬の句が7つもある∑(`・д・´ノ)ノ
あれ? 金魚は夏の季語なのに?
全部抜き出してみましょう。
季語は松山市HPの表から。※は@まつやま注。
【春】
永き日を麩に隠れたる金魚哉(季語=日永)
春水ヤ囲ヒ分ケタル金魚ノ子(季語=春の水)
海棠の雫にそだつ金魚かな(季語=海棠)
※海棠(カイドウ)はハナカイドウというリンゴ属の植物
さゝやかな金魚の波や山つゝし(季語=つつじ)
【夏】
夕立や宿屋の庭の金魚池(季語=夕立)
古壺に金魚飼ふたり青簾(季語=青簾)
※青簾は青竹を細く割って編んだ新しいすだれ
孑孑も金魚も同じ浮世かな(季語=孑孑)
※孑孑はボウフラ
くれ涼し大路にならふ金魚売(季語=金魚)
【秋】
古井戸や金魚ものくふ秋の水(季語=秋の水)
【冬】
用水や小春の金魚一つ浮く(季語=小春)
寒さうに金魚の浮きし日向哉(季語=寒し)
浮くや金魚唐紅の薄氷(季語=氷)
金魚死して涸れ殘る水の氷哉(季語=氷)
檐下や金魚の池の薄氷(季語=氷)
煤拂て金魚の池の曇り哉(季語=煤払)
大事がる金魚死にたり枯しのぶ (季語=枯荵)
お気づきだと思いますが・・・
子規さん、金魚を季語として使ってない?!
松山市の分類では唯一「くれ涼し大路にならふ金魚売」が金魚を季語と見なしてますが、「涼し」も同じく夏の季語。これは「1句に季語はひとつ」という俳句の原則違反の季重ねってことに( ; ゚Д゚)
また他の夏の3句もそれぞれ夕立、青簾、孑孑って季語と金魚がダブってるので、やはり季重ね。
また春・秋・冬の句では、季節の違う季語を使ってるので
「季違い」になっちゃってる。
(このエントリーのタイトルはココからきてますw)
季重ね、季違いは絶対NGってわけではなく、上級者がわざと使うようなケースもあるそうですが、基本的には好ましくない技法。っていうか、学校ではダメって習った気がします。
※弟子の虚子は季重ね、季違いは重要な問題ではない、という立場だったようですが、子規さんがどうだったかは分かりません( ; ゚Д゚)
子規さんが「敢えての高等戦術」として季違いや季重ねを使っているとも考えられますが、金魚関連の全16句を同じような戦術で詠んでるとは考えにくいとも思います。
むしろこれらの句を読むと、子規さんが一年を通じて金魚を気にかけ、楽しんだり悲しんだりしてるのが良く分かります。
冬の句では死んだり浮いたりしちゃってますが( ; ゚Д゚)
晩年、病に伏せった子規さんは俳句以外でも「病牀六尺」でこんな文章を遺してます。
ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事もいたいが綺麗な事も綺麗ぢや。
子規さんにとって金魚は季節モノではなく、オールシーズン身近な存在で、季語として使わなかった、もしくは夏の季語だと知ってても無視して俳句を作り続けてた、と考えるのが自然ではないかと。
現代でも金魚の品評会は春から秋に開かれますし、室内飼育なら冬でも楽しめるパートナーフィッシュ。来年(2017年)は子規生誕150年。子規さんに倣い「金魚=夏」という構図からそろそろ我々も解放されていきましょう!・・・ってのはちょっと大げさかな(笑)
以上はあくまで俳句のことをまったく知らないド素人の見解ですので、ピント外れでしたらご容赦を。機会があれば専門家に聞いてみたいですし、詳しい方がおられたらコメント等お願いしますm(__)m
※タイトル画像は松山市の子規庵にあったレリーフの一部です。
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